越谷市ってどんな街?
大規模宅地開発や地下鉄日比谷線の東武伊勢崎線への相互乗り入れなどで、1967年(昭和42年)に、人口10万人を突破し、都市化の進展で街の様相が一変した。1976年(昭和51年)には、人口が20万人を超え、市内最大の総合病院「市立病院」が開業。市内で小・中学校が各地域で相次いで開校した。日本経済が安定成長に移行し、同市の人口増加も落ち着きはじめ、スポーツや文化活動などの健康的で余暇を楽しむ生活が求められ、各施設の整備や各種団体の育成などの施策が進められるようになりました。1985年(昭和60年)には、人口が25万人を突破し、ようやく道路や橋、公園、公共下水道、鉄道の高架複々線化事業など都市基盤の整備が始められました。人口が30万人を超えた1996年(平成8年)、同市内の東武伊勢崎線が越谷以南で高架複々線工事が完了、利便性が高まると同時に、1996年12月、同県内6番目の人口30万都市となりました。
越谷市の交通網
東武スカイツリーラインが市の南北に縦断し、武蔵野線が市の南部を東西に横断しています。2つの路線が交わる新越谷駅と南越谷駅は鉄道交通の要衝であり乗降人員が多く、両駅を合算した一日平均乗降人員は約30万人にのぼります。イオンレイクタウンの最寄り駅である越谷レイクタウン駅は定期外利用率が高く、乗降人員全体の約5割を占めています。
東武伊勢崎線の北越谷駅以北は地上区間ですが、それ以外はすべて高架区間です。2013年に大袋駅の橋上駅舎が供用されたことにより、市内すべての駅でバリアフリー化が完了しました。各駅に駅前広場が整備されており、蒲生駅を除く全駅に路線バスが乗り入れています。
越谷市の家事サービス(家事代行・家政婦)の利用状況
先にも述べたが、1960年(昭和35年)に、人口が5万人を突破し、その人口増に合わせて地下鉄日比谷線が北越谷駅まで相互乗り入れ、首都圏のベッドタウンとして、人口の急増時代を迎えました。比較的新しい家事代行サービスも、その利用状況は一定のレベルをたもって推移しています。
「家事サービス(家事代行・家政婦)」の利用実績がある武蔵野市のエリアやマンション(例)